日本の北の大地(余市・厚岸):寒冷なる海風と泥炭が宿す「孤高のジャパニーズウイスキー」の真髄
竹鶴政孝の不屈の魂「余市」から、極東のアイラに挑む新星「厚岸」まで。世界を驚嘆させた北の大地のテロワールと、石炭直火蒸留の奇跡を巡る知の旅。
【G-VOYAGE これまでの航跡】
- アイラ島サーガ(第1弾〜第4弾):荒海と1万年の泥炭(ピート)が育む「煙香(スモーキー)の極北」
- スペイサイドサーガ(第5弾〜第8弾):深い森と清流が紡ぎ出す「華麗なるシングルモルトの桃源郷」
- アイルランドサーガ(第9弾〜第12弾):錬金術と3回蒸留・ポットスチルが蘇る「命の水・すべての揺籃の地」
大西洋の潮風に抱かれたアイラ島の孤高なピート香。緑深き渓谷で花とシェリーの芳香を咲かせたスペイサイドのエレガンス。そして、中東の錬金術から連なるアイルランドのシルキーな伝統――。
世界を巡った私たちの知の航海は、いよいよ第4のサーガへと突入します。向かうのは、いまや世界中のコレクターや愛好家が熱狂的な眼差しを向け、国際的な品評会の頂点を席巻し続ける「ジャパニーズウイスキー(Japanese Whisky)」の聖地、日本の北の大地・北海道です。
スコットランドに憧れ、海を渡ったひとりの日本人が「本物のウイスキー」を造るために選んだ北西の地・余市(よいち)。そして21世紀、アイラ島と同じ緯度・湿原・海霧に恵まれた東の果てで「世界最高峰のピートモルト」に挑む新時代の旗手・厚岸(あっけし)。
なぜ、極東の島国で育まれた琥珀の雫が、本場スコットランドを驚嘆させ、世界のウイスキー地図を塗り替えることになったのか。寒冷なる北の大地で繰り広げられた、情熱と風土(テロワール)が織りなす奇跡の物語を紐解きます。
本記事の目次
01. 竹鶴政孝の情熱とスコットランドの約束(1918年〜1934年)
日本のウイスキーの歴史を語る上で、決して欠かすことのできない巨人が、日本のウイスキーの父と呼ばれる竹鶴政孝(たけつる まさたか)です。
広島の造り酒屋の三男として生まれた竹鶴は、1918年(大正7年)、摂津酒造の命を受けて単身スコットランドのグラスゴー大学へと留学しました。当時の日本には、本物のウイスキーの製造技術など存在せず、アルコールに香料や砂糖を混ぜた模造品が主流の時代でした。
竹鶴はグラスゴー近郊のロングモーン蒸留所や、キャンベルタウンの名門ヘーゼルバーン蒸留所に飛び込み、実習生として必死にノートを取り続けました。このときに記された2冊の大学ノート「竹鶴ノート」こそが、のちに日本のウイスキー産業をゼロから興す原典となったのです。
現地で生涯の伴侶となるジェシー・ロベルタ(愛称リタ)と出会い、数々の偏見や反対を乗り越えて帰国した竹鶴。帰国後、寿屋(現サントリー)の創業者・鳥井信治郎に招聘され、1923年に京都郊外の山崎蒸溜所の初代工場長として日本初のウイスキー造りを率います。
しかし、鳥井が目指した「日本人の繊細な味覚に合わせたウイスキー」と、竹鶴が目指した「スコットランドそのままの力強くスモーキーな本物のモルト」との間には、次第に思想の違いが生まれます。「本物のウイスキーを造るには、スコットランドと同じ気候風土の地でなければならない」――1934年、契約満了を迎えた竹鶴は独立し、彼が向かった先こそが、北海道・積丹半島の付け根に位置する「余市」でした。
02. 余市蒸溜所:世界唯一の「石炭直火蒸留」と剛健なるモルト
なぜ竹鶴は、札幌からも小樽からも遠く、交通の便も悪かった寒冷な余市を選んだのでしょうか。そこには、スコットランド・ハイランドの冷涼な気候、キャンベルタウンを思わせる日本海からの潮風、余市川の清冽な雪解け水、そして近隣に広がるピート(泥炭)湿原という、ウイスキー造りに必要なすべての条件が奇跡的に揃っていたからです。
ウイスキーが熟成するまでの数年間、竹鶴は地元特産のリンゴを使った果汁ジュースやアップルワインを製造・販売して会社を支えました。この会社の名前「大日本果汁株式会社」の略称こそが、のちの「ニッカ(NIKKA)ウヰスキー」の名の由来です。
余市蒸溜所が世界中の愛好家から神聖視される最大の理由が、「石炭直火蒸留(Direct Coal-Fired Distillation)」です。かつてスコットランドの蒸留所でも広く行われていたこの製法は、温度管理が極めて難しく非効率なため、現在では本場スコットランドでもほぼ全廃されてしまいました。
しかし余市では、今なお熟練の職人が800〜1000度にも達する炉にスコップで石炭を手作業でくべ続けています。この強烈な直火によってポットスチルの底部に原酒の適度な「焦げ」が生じ、余市モルト特有の「力強く香ばしいトースト香」「ヘビーで重厚なコク」「香ばしいピートスモーク」が生まれるのです。
スチーム加温とは異なり、直火蒸留ではスチル底部で局所的な高温反応(メイラード反応・カラメル化)が起こります。これにより、複雑な芳香化合物が生成され、重厚でオイリー、そして力強い香ばしさを備えた余市ならではの原酒が完成します。
03. 21世紀の衝撃・厚岸蒸溜所:「極東のアイラ」に挑む狂熱(2016年〜)
余市の創業から80年以上を経た2016年、北海道東部の太平洋岸に位置する釧路地方・厚岸(あっけし)町に、世界のウイスキー界を驚嘆させる蒸留所が誕生しました。それが「厚岸蒸溜所(堅展実業)」です。
創業者である樋田恵一氏が抱いた夢は、「スコットランドのアイラ島のような、スモーキーで海の潮香を纏ったウイスキーを日本で造る」という強い執念でした。
厚岸町は、世界有数の牡蠣の産地として知られる汽水湖「厚岸湖」を擁する港町。夏でも最高気温が20度前後と冷涼で、夏になると太平洋から立ち込める深い海霧(ガス)が町全体を包み込みます。さらに、蒸留所の周囲には釧路湿原や別寒辺牛(ベカンベウシ)湿原が広がり、ピート層をくぐり抜けた清らかな軟水が湧き出しています。
まさに、アイラ島と奇跡的に酷似したマイクロクライメイト(微小気候)がそこにあったのです。厚岸蒸溜所では、仕込み水に湿原ピート層を通る軟水を用い、厚岸産の泥炭での製麦、北海道産大麦の契約栽培、そして北海道産「エゾミズナラ」樽による熟成など、究極の「厚岸オールスター」を目指しています。
2020年からリリースが始まった「二十四節気シリーズ」(寒露、雨水、芒種、処暑、立冬、大寒、啓蟄、白露など)は、発売されるやいなや世界的な品評会「ワールド・ウイスキー・アワード(WWA)」で世界最高賞(World's Best Blended等)を受賞。日本のクラフトディスティラリーの頂点として、世界中のウイスキーファンを熱狂させています。
04. ジャパニーズウイスキーの苦闘と「世界5大ウイスキー」の頂へ
今日でこそ世界的な争奪戦が繰り広げられるジャパニーズウイスキーですが、1980年代後半から2000年代初頭にかけては、国内消費の激減により生産調整を余儀なくされる長い「冬の時代」を経験しました。
しかし日本のブレンダーや職人たちは、逆境の時代にあっても品質の追求を決して諦めませんでした。その努力が実を結び、2001年のニッカ「シングルカスク余市10年」が英ウイスキーマガジン誌で世界最高得点を獲得したことを皮切りに、サントリーの「山崎」「響」とともに世界最高峰の賞を次々と総なめにしていったのです。
2021年には日本洋酒酒造組合によって「ジャパニーズウイスキーの自主基準」が制定され、日本国内で採水・糖化・発酵・蒸留・3年以上の木樽熟成を行う本物の製品だけが「Japanese Whisky」と名乗れる国際的な枠組みが整いました。
スコッチを源流としながら、北海道の寒冷な海と湿原、そして日本人の繊細な美意識が育んだ琥珀の酒――。それは今や、世界5大ウイスキーの中でも比類なき気品を誇る、極上の文化遺産となったのです。
05. 現地の息吹・五感の風景(余市と厚岸のテロワール)
北の大地へのウイスキー巡礼は、風と海、そして大地の息吹を肌で感じる五感の旅です。
■ 余市:赤瓦と石造りのキルン塔、石炭の爆ぜる音
小樽から日本海沿いに車を走らせること約30分。余市川の河口近くに、まるでおとぎ話の城塞のような重厚な石門と赤い三角屋根が現れます。国指定重要文化財にも指定されている「ニッカウヰスキー 余市蒸溜所」です。
一歩敷地内に足を踏み入れると、スコットランドのハイランド地方に迷い込んだかのような石造りのキルン塔(乾燥塔)が聳え立ち、空気の中には甘く香ばしいモルトとピートの香りが漂っています。蒸留棟の扉を開けると、轟々と燃え盛る石炭の炎と職人の引き締まった表情、そして熱気の中で鈍く輝くポットスチル。「ウイスキーは手造りの工芸品である」という竹鶴政孝の魂が、今もここで生き続けています。
■ 厚岸:海霧(ガス)立ち込める厚岸湖と「牡蠣×ウイスキー」の極致
一方、北海道の東端、釧路空港から湿原を抜けて太平洋岸の厚岸町へ。車窓の外には広大な別寒辺牛湿原が広がり、夏には太平洋から流れ込む白い海霧(ガス)が幻想的に大地を包み込みます。
厚岸湖のほとりに建つ厚岸蒸溜所。ここで生み出されるウイスキーの真価を味わうなら、地元の牡蠣場や料理店へ足を運ぶのが旅人の醍醐味です。
冷たい海水で身が引き締まり、クリーミーで濃厚な旨味を持つ厚岸の牡蠣。そこに厚岸モルトのスモーキーなピート香と潮の風味が絡み合う瞬間、口の中で爆発するミネラルとアミノ酸のマリアージュは、まさに人生で一度は体験すべき大人の至福です。
06. 本編に登場する「北の大地の4大名酒」
日本のウイスキーの伝統、誇り、そして革新を象徴する世界最高峰の4本。
07. JOURNEY TO HOKKAIDO(北の大地への大人の聖地巡礼)
北海道のウイスキーを巡る旅は、日本の豊かな食文化と大自然、そして開拓の歴史が融合した贅沢な大人のリトリートです。
新千歳空港から小樽を経て余市へ向かう日本海のシーサイドドライブ。または、たんちょう釧路空港から釧路湿原を抜け、海霧が漂う厚岸湖と太平洋を巡る道東のロードトリップ。
昼は蒸留所でウイスキー造りの歴史と職人技に触れ、夜は港町の名店で獲れたての海の幸や十勝のチーズとともに、その土地の水と空気で育まれた美酒を傾ける――。都会の喧騒を離れ、北の大地の静寂に身を委ねる時間は、日常を忘れさせる最高の贅沢となるはずです。
札幌・小樽を起点とする道央・余市攻略ルートから、釧路湿原・厚岸湾を巡る道東の絶景ドライブ、予約必須の蒸留所見学術や名門宿・グルメの選び方まで、実践的な3泊4日モデルプランは次回の記事(北海道第2弾)で詳しくお届けします。どうぞご期待ください!
08. AFTERGLOW(日常へ持ち帰る余韻とペアリング)
北海道の旅を終え、書斎の静寂の中で味わう北のウイスキー。その一杯は、日常に豊かな知的時間と深い安らぎをもたらします。
至高のハイボールとトワイスアップ
薄張りグラスに氷を満たし、余市や厚岸を強炭酸で割る。弾けるスモーキーな潮風とモルトの甘みは日本のバー文化の極致。ストレートに常温水を同量加えるトワイスアップも果実香を開花させます。
知的なカルチャー・ペアリング
司馬遼太郎『オホーツク街道(街道をゆく)』や開高健『悠々として急げ』を開き、坂本龍一の静謐なピアノソロ(『async』『12』)をBGMに流す、深く静かな夜のひととき。
至福のフードマリアージュ
余市には北海道産スモークサーモンや十勝熟成チェダー。厚岸には焼き牡蠣(ウイスキーを一垂らし)やつぶ貝酒蒸し、ビターチョコレートが完璧に調和します。
スコットランドの荒海が育んだ「アイラ島」の原初的なスモーク。深い森と清流が磨き上げた「スペイサイド」の優美なるシングルモルト。3回蒸留とケルトの魂を受け継ぐ「アイルランド」の命の水。そして、北の大地の寒冷な風土と職人の執念が結実した「北海道・余市・厚岸」のジャパニーズウイスキー――。
世界のウイスキーを巡る旅は、一杯のグラスの中に「人類の歴史」「大自然の記憶」「文化の交差点」を見出す知的な冒険です。北の大地が放つ誇り高きスモーキーフレーバーを胸に、G-VOYAGEの航海は、さらなる実践的な巡礼ルートへと続いていきます。